美しい高尾山であるためにゴミ箱は置きません
と京王電鉄が中吊り広告で謳っているのを見ました。
直感的に「それは根本的におかしい」と感じたので、
そのことについてすこし考察してみたいと思います。
まず、モノを売るなら
それを処分する責も負うのが筋というものではないでしょうか。
現地に行くとよく分かりますが、
高尾山口駅の改札を一歩踏み出した瞬間から高尾山の山頂まで
飲料、たべもの、おみやげなどの「商品」があふれています。
それはそれで悪いことではない。
だけど、モノを売りながらゴミはヨソヘというのは、
タバコを売りながら禁煙を叫ぶようなもの。
両者の根っこは同じであると思います。
要は、儲けさせてもらいます
だけど、そのあとのことは知りません、ということ。
企業として、リスクを負うことから逃げている気がしてなりません。
CSRの重要性がこれだけ声高に訴えられている世にあって
ミシュランからのお墨付きを得て沸きに沸いている高尾山(京王電鉄)がこれでは
なんとも心もとない気がします。
というように、ゴミ箱論はある意味
ECOという名のエセ環境論の象徴だと思います。
私はゴミ箱を置け、灰皿を備えろと言っているのではありません。
むしろ逆。
私が考えるエコのあるべき姿とは、たとえば次のような感じです。
入山時にゴミ袋を渡し、下山時に回収してゴミの量に応じてボイントを付与。
ポイントが貯まったら、リストにあるそば屋さんで高尾そばを一杯無料でいただく。
そばを食べれば取れたて山菜の天ぷらや地酒も欲しくなるでしょう。
こうしてゴミが減り、負担が減り、
麓が潤い、企業・地域イメージが上がり、さらに賑わう。
エコを起点にして、経済、まち、思い出が循環する。
こんなことこそがエコが目指すべき姿ではないでしょうか。
みなさんはどう思われます?
と京王電鉄が中吊り広告で謳っているのを見ました。
直感的に「それは根本的におかしい」と感じたので、
そのことについてすこし考察してみたいと思います。
まず、モノを売るなら
それを処分する責も負うのが筋というものではないでしょうか。
現地に行くとよく分かりますが、
高尾山口駅の改札を一歩踏み出した瞬間から高尾山の山頂まで
飲料、たべもの、おみやげなどの「商品」があふれています。
それはそれで悪いことではない。
だけど、モノを売りながらゴミはヨソヘというのは、
タバコを売りながら禁煙を叫ぶようなもの。
両者の根っこは同じであると思います。
要は、儲けさせてもらいます
だけど、そのあとのことは知りません、ということ。
企業として、リスクを負うことから逃げている気がしてなりません。
CSRの重要性がこれだけ声高に訴えられている世にあって
ミシュランからのお墨付きを得て沸きに沸いている高尾山(京王電鉄)がこれでは
なんとも心もとない気がします。
というように、ゴミ箱論はある意味
ECOという名のエセ環境論の象徴だと思います。
私はゴミ箱を置け、灰皿を備えろと言っているのではありません。
むしろ逆。
私が考えるエコのあるべき姿とは、たとえば次のような感じです。
入山時にゴミ袋を渡し、下山時に回収してゴミの量に応じてボイントを付与。
ポイントが貯まったら、リストにあるそば屋さんで高尾そばを一杯無料でいただく。
そばを食べれば取れたて山菜の天ぷらや地酒も欲しくなるでしょう。
こうしてゴミが減り、負担が減り、
麓が潤い、企業・地域イメージが上がり、さらに賑わう。
エコを起点にして、経済、まち、思い出が循環する。
こんなことこそがエコが目指すべき姿ではないでしょうか。
みなさんはどう思われます?








